一期一会 〜一生に一度だけの機会〜

お茶のお稽古を始めて、まだ、下手ですけど、やっと着物の着付けを自分自信でもできる様になりました。
これまで、着物は上手な人に着付けてもらっていましたが、お稽古のある早朝などに毎回毎回、お願いも出来なく、これは、自分で着付けを覚えるしかない。日本人の民族衣装も着れないなんて、日本心を学ぼうとしているにもかかわらず、ましてはお茶を学ぶのなら着物は必須!!!

着付けも、今日は裾が少し長すぎたとか、帯のお太鼓が少し、小さすぎたとか、帯位置が下すぎ...と、いきなり上手になるものではなく、着付ける回数を重ねて重ねて小さなミスを直しながら、やっと自分の体と調和する様に上達していくものだと思います。


進む時の中で交わされる人と人との出逢いもまた、2度と振り返ることのない、一生の中の1秒の重なり毎であり、常にその時を最期と思い、大切な時を過ごしたいと思うからこそ、時間は人から借りられるものでもなく、(着物を人に着付けてもらうという事は時間を人から借りていることと同じと私は考えます。それなので、それは自分の一生から時を失っている。それでは残念だと思います。)やはり、自己としての時を過ごしたいと、着物の着付けも自分の時間として、身につけ、年をさらに重ねた際には、もう少し、背筋もピンと、真っ直ぐに姿勢の良い物腰と、作法。着物や帯もしっとりと似合うお婆さんになるのが現在の夢。なので、年を老うことも、私には楽しみなことの一つです。



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生涯に一度限りであること。
生涯に一回しかないと考えて、そのことに専念する意。



ミヒャエル・エンデのMOMOの話も好きで、そのお話しに登場する、道路掃除の老人、ペッポさんは、毎日毎日、同じ道の上をその一掃きをつぎの一歩。つぎの一呼吸をつぎの一掃きと、そしてまた、一休みして、考え、それからまた繰り返していきます。

一歩一歩一掃き一掃き。

「なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人の命は心を住処としているからです」 ~MOMO~

たまに合う知人で、誘われてご一緒する機会を持つことがありますが、もうこういう人とはしばらくは逢いたくはないなと、いう方がたまに、いらっしゃいます。
そういう方々は、愚痴が多かったり、その場のことであれがこうだったから、こうでああでと、結局言い訳だらけで、自分のことではなく、その場にいない人の噂話だったり、人の所為にして、聞いてるこちらは、同じ時間を共有しているのに、まるで時間が汚された様に感じ、なんて、可哀想に。申し訳ないですけど、そういう楽しくもない時間を費やすのではなく。もっと、美しいお話しができたり、幸せを感じられる時をどうして過ごせないのかしらと、思ったことがありますが、自分の心の住処を時間泥棒に奪われてしまったのでしょうか。ご自身の時を汚していることに気がつかなくなっている。


表千家・堀内宗心師のお言葉にも、
「毎日、同じ時間に同じ所を散歩しても、一見なんの進歩もない同じことの繰り返しのように考えられますが、じつは毎日景色も変わり、温度も変わり、出会う人も変わるというふうに、そのときそのときが新しいのであります。そうして、日を重ねているうちに、いつのまにか、精神的にも肉体的にも、自分自身が変わっているのであります。」と。


梅も咲き出し、春の便りを感じる今日この頃。
また、来年に咲く梅の花も、根は同じでも今年とは違う梅の花が誕生します。

日々の時々の過ごし方、人々の生きる姿は様々ですが、花々の様に時とともに生き、花を咲かせ実をを結び、時を肥やすことこそ、茶道が伝える一期一会ではないかとも、この頃感じてきました。

忙しく、お茶を学ぶ時間がないという方は、まず、ご自宅にて一輪でも花を活け、美味しいお茶の一服をゆっくりと味わってみるという習慣をお作りになってはいかがでしょうか?
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by yuklily | 2016-02-27 13:18 | culture | Comments(0)