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何処より何方へ 人もまた   

一木一草までもが深い眠りにつく真夜中の闇に、永い間外国を旅した一瞬一瞬の景色が私の中で
明滅する。喧噪や無秩序、豊饒と不安、汗と欲や倦怠に満ち溢れた市場の臭気や叫びの声。
そして、神の創造の大地という言葉すら信じたくなる程の圧倒的な「超」自然。私は確かに旅をしていた。見えるモノを両の眼で見、何かを感じようと五感を張りつめていた。

眼の前の自然が偉大で凄ければ凄い程、「人間」の存在が小さくちっぽけに感じられ、自然の前
では無防備であり、裸も同然である事を教わった。
人間という生き物が微小であり弱く無力であるという事が「ヒト」に対する興味の芽を膨らませ
いった。

「ヒト」とはいったい何なのか、やがてそれは日本という国とは、日本人とは何なのかと、どん
どん拡がっていった。その「何なのか」は、何一つ確信の持てない不安定で捕えようのない姿であった。右手で左のポケットの中味を探るようなそんなもどかしさであった。そんな「何なのか」が消えたり現れたりと、何年も続いた。そして、能に出会った。
私の知りたかった日本の国や日本人の「何なのか」が、三面四方の能舞台の上にあった、のだ。

能の主人公のほとんどは幽霊だが、時には神そのものであったり、異界からの訪問者や、草木の
精、鬼や天狗、鵺などの妖怪、源氏や平家の武者であり、現実の人さえも狂女であったり、神懸
りした人である。天下泰平、国家安泰、国土安全を寿ぎ、生前の戦の罪により死後、修羅道に墜
ちた武人の苦しみであり、幽玄の情緒であったり、王朝物語の主人公である。
離別した愛人や我が子を求めて彷徨い、現在への断ちがたい妄執をあらわし、深山や水中、ある
いは月世界から訪れ、また去っていく。

能の中には、この世とあの世、天国や地獄、異界や異次元、現実などの全ての宇宙が含まれてい
るといってもいいだろう。
能に出会い、能を撮ることで、やっと私の知りたかった何かが「ヒト」の姿を少しずつ現したのだ。
私は正直者だと自負している。だから人に能の事を聞かれても「能は判りません。」と答えること
にしている。

舞台で演じられる幽霊や妖怪にも出会ったこともないし、天国も地獄も今もって知らない。
たかが、十数年の能との関わりで、連綿と六百年も続いてきた能が判るはすも無ければ、言える訳
もない。では、能の何を撮っているのかと聞かれたら、「それは、能の持つ何とも判らないもの」
と答えようと思っている。訳の判らないというのは、「眼に見えないもの」と言い換えてもよいだ
ろう。「ヒトの心の中の在り様」と言ってもいいだろう。
能の演者の姿を借りて、能面の内側、向こう側、つまりは「ヒト」を撮っているつもりなのである。

恨みや嘆き、怒り、失望、未練や絶望、苦渋と苦患、不安、戯れや遊び、歓喜、恋慕、屈辱に忿怒
、失意、宿業、阿責、嫉妬、追慕と、およそこの人の世のありとあらゆる想いや感情が能には含ま
れている。その人の世の心の中でうごめくものの全てを、能を撮る事で覗けたらと思うのである。
「ヒト」の世に生きている限り「ヒト」はやっぱり面白い。

神話の時代の神々や、仏の古里である聖域を尋ね歩いている。
「草も木もものを言った」と日本書記には記されている。であるならば、天も地も岩も水も、山も
河も話していただろう。もちろん、海や陽や月も星もである。「ヒト」と話しが出来たのであろう。
身近な存在はまた一方では怖くも恐ろしくもあったであろう。恐れるものには加護が、無視には天
罰が下ったであろう。死もまた再生への道であったはずだ。

能の揚げ幕は黄泉の国への出入口なのか、橋懸かりを渡りこの世に姿を現す「ヒト」。
西方浄土は死者の赴く所。沈む日の輝きはやがて暗い闇の世。そして、東方楽土は正者の地、昇る
朝日は光に満ち溢れている。

この世に現れて、思いのたけを打ち明け、救いを求め、やがて去りゆく。「ヒト」とはなんと深い
業を背負っているのか。生霊や死霊のなんと超人的なことか。

能に出逢い、「ヒト」の何かが判ったというより判りかけて来た様な気が少ししている。
「何処より、何方へ」というのは、この世の命ある全てのものに対する想いであり、私もまた何処
から来て、何方かへ去って行くのであろう。

梅若六郎師に出会えていなければ私はまだ迷い続けていたであろう。
能に出会う事で何かから救われたのだ、師は私にとって神であり仏であろう。そしてこの本を見て
もらえたらとの一番思いは故開高健先生である。亡き父である。
この世で出会えた全ての人と、あの世で再び会える全ての人に「ありがとう」の思いをこめて。



五十六代目梅若六郎 能百舞台 (集英社)

より故高橋昇さんのあとがき...10年間におよぶ梅若六郎さんの舞台を撮り続けてきた素晴らしい
書籍の一つです。




「眼に見えないもの」現代社会に欠けてしまった何か....。

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馬に乗って天高く空を駆け回りたいです。故人の方々の残したきた文化(魂)という星屑を拾う気持ちです。

by yuklily | 2011-10-16 00:14 | culture | Comments(0)