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il fait doux,aujourd'hui

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パリ秋晴れの暖かい気候◎

すっかりシャンゼリゼ通りも落ち葉の色に染まっていました。

グランパレ好きな御散歩コース、帰り道にはクリスティーズやガゴジアンギャラリー、
フォーブルサントノーレまで足を運び秋の御散歩。


明日はエッフェル塔まで出掛けてみよう◎
シャングラホテルのランチ、すでに私のパリの味、また食べにいこう♪
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by yuklily | 2011-09-30 04:00 | paris | Comments(0)

昨夜の記憶

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bar hemingway


久し振りにもう10年来の友人、バーテンのロマンにも再会の夜◎
誕生日プレゼントも渡せました!
前回は私に素敵なカクテルをプレゼントしてくれたのでお返しに♪


ユネスコでも認定を受けてる現代アーティストさんの器24Kの塗りの鉄のもの。


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コストのディナー


ネム(春巻き)とトリュフのリゾット!
ルイ・ロデレールのシャンパンを2本空け...。



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平野さんのデザインのエチケットのワインをクリスピーダックに合わせて頂きました!


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ほとんど皆さん、初対面同士という感じにも関わらず、楽しく会話も弾み素敵な食事でした◎




merci pour vous !


bisous!

というかパリの照明の方が暗いけど落ち着く、日本帰国した時、省エネだといいながらもすごい電気の消費量、全然違う。

キャンドルの灯りで食事もいいものです。
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by yuklily | 2011-09-28 00:38 | paris | Comments(0)

漆のお椀

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赤朱色と黒のコントラスト!
美しい!



漆塗

伊藤 拡


たった一人の職人さんの手から生まれるもの◎


日本の美に振り返ってみると、どれだけの伝統的文化が今後、未来に残るのだろうかと、真剣に考えてしまう。漆にしろ地球環境、自然との共和から生まれたアート◎

伊藤さんのアトリエにお伺いした時に、「日本人は両手でお椀を持つ文化がある、ガラスの器では熱いスープは飲めない、しかも落とすと割れてしまう、だけど、漆塗りは熱いものでも温度を持ち手に通さず、暖かいままに食せる、割れてもまた繋げ、塗り直しが出来る、永く使用することにより艶や味わいが生まれてくるのです。」と。

漆塗りの刷毛は処女の海女さんの髪の毛を神社へ奉納したものを使用します◎


なんて深い世界なのでしょうか。
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by yuklily | 2011-09-26 22:09 | culture | Comments(0)

かぼちゃのスープ

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お月見
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by yuklily | 2011-09-25 20:29 | gastronomie | Comments(0)

能の舞台 メモ1

能舞台はひとつの思想そのものであり、そこには宇宙の広がりさえ感じる事が出来る。
無の空間に有を描き、また無に戻るという哲学が観客側にさえ深々と一体となるあの感動。

演者と観客が一体化した空間と時間の中で、舞台を創りだそうという能の意思の中、
まず能舞台を支える4本柱は厳然として空間を区切る。
もちろん舞台の屋根を支えるものでもありますが...。
区切られたことによって、その空間はかえって無限のひろがりを持つのでしょう。
その研ぎ澄まされた空間の中でこそ、能の演者は一足出る演技に百年、二百年....
六百年の人生のむなしさの表現を煮詰め、ぐるりと一つ舞台をまわる中に輪廻の業を見せ、
あるいは天翔る幻想を舞うのです。

昔の能舞台は文字通り四方正面で、橋懸りが後方についていたといいます。
いつの時代か鏡板によって一方が閉じられ、優れた反響板であり、融通無碍の背景であり、
描かれた老松は、かつて野外で演じられていた名残りとも、芸能を捧げる神の松ともいわ
れています。

数々の演目、あらゆる場合にも背景はこれ一つ。

情景はすべての観客が観る舞台上の宇宙からイメージする中にこそ描かれるものなのだと思います。
背景であり背景ではないそれぞれに目に移る姿を味わう世界というものが、舞台上に浮かび上がる
演者の姿、そして重なる笛、鼓の音色の響きを引き立て浮かせこちらを呑込んでいきます。


そして橋懸り、それはあの世からこの世にわたされた架け橋。
演者の歩みとともに、異次元の世界に踏み込むおののきと重圧とが、生きたまま、あの世
へとともに過去からの黄泉がえりを感じる演舞の踏み足に息がつまる程。

しかし、能はかつて野外で演じられ、野外の独立した舞台でもありました。

四角の舞台空間と橋懸り。
または、何千人も擁するギリシャの古代野外劇場まで、その基本形を設置することにより
あらゆる空間を支配し、観るものを魅せてきました。

これは能が再現写実の演劇としてではなく、人間の情念をそのまま結晶させようとする演劇
発想に従ったこと、能面を主軸とする抽象化された演技を煮詰めていったことに能の漆黒と
広がる宇宙と空間が舞台と観客を結ぶのだと思います。


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舞台の基礎を型だけではなく人間が肉体と魂で無の空間に描きだすものももしかしたら様々で、
新たな空間や視覚の中に舞に音、生と死、戦と和、闇と光と、自然界から生まれた人間そのもの
と人の手から生まれる装束、面、笛に鼓、手入れされる箱全てに命が入ってこそ一瞬の記憶の共有
として過去・現在・未来をまた結び、日本という国の持つ伝統文化を永い歴史の宝物として次
世代、人種、国籍、文化、宗教を超える心に響く幽玄なる一点を抉っていただきたいなと思います。



Le théâtre Nô : note 1
 
Le Nô est une pensée. On peut même y découvrir l’univers infini. Dessiner une existence dans le vide pour revenir finalement au néant. Les spectateurs comprennent profondément, à travers leurs émotions, cette philosophie du Nô.

Sur la scène, dans un espace-temps qui unifie les acteurs et les spectateurs, les 4 colonnes - les supports du plafond de la scène - font la première séparation spatiale. Cet acte de séparation crée justement l’impression d’un espace infiniment étendu, dans lequel l’acteur joue. Chaque pas effectué se réfère à un temps centenaire, exprimant ainsi la vanité de la vie humaine. Quand il fait un tour sur la scène, il montre le karma de la réincarnation, ou bien l’illusion céleste.

Il semble que la scène du Nô d’autrefois était un plan carré dont chaque côté était considéré comme le devant de la scène. Hashigakari, passage-pont, était situé en arrière.
À un moment donné de l’histoire, il fut installé un miroir qui fermait un côté de la scène. Il sert à la fois de panneau de résonance, efficace, et de décor de fond s’adaptant à n’importe quelle pièce. Y est dessiné un vieux pin, une sorte de rappel au Nô en plein air d’autrefois, et de symbole du dieu des arts de spectacle. Il est l’unique fond, pour toutes les pièces et pour toutes les scènes.
C’est à chaque spectateur d’imaginer des scènes, à l’aide du sentiment universel qui surgit pendant le spectacle.
Le monde inspiré de ce fond, ainsi que des fifff fgures d’acteurs sur la scène, et de la musique de flûte et de tambour, en impose les spectateurs.

Hashigakari - passage-pont - qui relie notre monde à l’au-delà. Les pas de l’acteur nous faisant sentir la surprise et la pression qu’on aurait à l’entrée de l’autre monde. Ces pas, qui, tout en étant un être vivant, font des aller-retour entre ce monde et le monde des morts, nous étouffent.

Autrefois, le Nô était joué à l’extérieur, en des théâtres en e, plein air : la scène carrée et le passage-pont.
Lorsqu’il a été joué dans un théâtre antique grec, accueillant des milliers de spectateurs, on a gardé cette forme fondamentale, qui a contrôlé tout l’espace et a fasciné les spectateurs.
Le Nô n’est pas un théâtre mimétique de la réalité, mais un théâtre qui cherche à cristalliser directement les passions humaines en une chorégraphie abstraite avec, notamment, des masques. Cet univers profond du Nô contribue à renouer les spectateurs avec la scène.



La base fondamentale de la scène est dessinée dans le vide, non seulement par les formes, mais aussi par le corps et l’esprit de l’homme, d’une manière variée. L’instant est partagé entre le passé, le présent et le futur, lorsqu’on intègre dans l’espace la danse et le son, la vie et la mort, la guerre et la paix, l’ombre et la lumière, et qu’on associe l’homme né de la nature, avec tous les équipements nés de ses mains : le costume, la masque, la flûte et le tambour.

Je souhaiterais que cet art traditionnel japonais soit hérité par les générations futures, comme trésor ayant vécu une longue histoire, et que cela touche le point mystérieux du cœur de chacun - au-delà des ethnies, des nationalités, des civilisations, et des religions.
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by yuklily | 2011-09-06 01:19 | culture | Comments(0)

月の引力

昔の人々の時間の感覚は素晴らしいです。
このごろ、時間の使い方を時計を意識しないで過ごしています。

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今のグレゴリオ暦はある意味人々を時間でコントロールするためにできたものでもあるようですが、時間に支配されるというか...。

月の満ち欠けや季節の細やかなうつろいなどなどを感じて本来は暦ができていくものなのに、グレゴリオ暦はそれを無視といったらおおげさかもしれませんが、あまり考えられてないために、この暦で生きてきた私達は今いろんなところで少しずつ何かが失われてきているような気がするような感じがします。

13の月の暦には曜日という感覚がないのだそうです。
しかも一ヶ月が28日で一年が13か月。28日は女性の月経周期でもあるし、月の満ち欠けにも関係していてつながってます。自分で自分の時間をクリエイト、コントロールする。時間はアートだと昔の人、マヤの時代の方々は語っていました。

前回、パリで開催中の古代マヤ文明展もお伺いしたのですが、(人類最古のピラミッドを創った方々)時と自然の調和、雄大なる豊かさとはなにかと、現在社会の忙しく動く時間と経済が果たして豊かな生活なのかというと少し疑問を感じるとこでもあります。

日本でもお月見という文化があります。
古代の方々が月に何を願っていたのか、改めて大切に考えてみたいと思うこのごろでした◎
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by yuklily | 2011-09-01 13:59 | culture | Comments(0)

能楽

能 〜 徳川義宣 


`手の舞ひ足の踏むところを知らず’

という言葉は、喜びの描写である。
人は喜びを声、表情、身体の動きで表す。

その音色に抑揚がつき律動が生じ、身体の動きがそれに伴へば舞踊となり、抑揚や律動が
楽器で表はされる様になれば音楽となり、舞踊にストレ−リーが生じれば舞踊劇となる。
慶事や祝事に音楽と舞踊が伴ふのは、時に今昔、洋の東西は問わない。
科白演劇は舞踊劇から始まって独立した。

「能」は猿楽能の略称である。
猿楽は申楽・散更(さるごう)とも書き、語源は古代の散楽に発するとも云はれる。
猿楽に所作(能)や滑稽なものまねが伴い、それを専門とする猿楽師が発生し、各地の社寺
に属して座を形成した。

それらのうち大和結崎座に属していた観阿弥・世阿弥の父子が、足利三代将軍義満の籠を得て
引き立てられ、癖舞・田楽・延年の能をとり入れて猿楽の能を大成した。



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by yuklily | 2011-09-01 13:43 | culture | Comments(0)